Thursday, December 30, 2010

今年もありがとうございました。

またまたご無沙汰しております。

ブログに書く内容を色々と頭の中で練ってはいたのですが、人前に出て大きく発言するのに躊躇いがあったのでしょうか、ここに帰ってこれたのが結局今日になってしまいました。

自分にとって今年は本当に大きな年でした。ドイツ、アメリカ、日本を何度も行き来し、9年半住んだ第二の故郷でもあるボストンを離れ、マリンバの講師という自分の夢見ていた立場に自分を置くためにデトモルトに辿り着く。そしてその大きな動きの中にも、その動きに合わせるかのように様々な出来事が自分の身の回りでおきました。そのすべてがまだ自分の頭の中で整理をつけられていないので、この場で言葉にすることを今回は遠慮しますが、その大きな流れに流されそうになりながらも、沢山の方の力をお借りしながら何とか自分の両足で今こうして立っていられます。

昨年の12月に急に自分の脳裏に「ドイツ行き」を促す何かがよぎり、ドイツ行きを決意をしたものの、今年この場でその事を言葉にしてから約一年、自分がこういう形でドイツに戻ってこれるなんて夢にも思っていませんでした。
アメリカでの生活は本当に大きなもので、そのすべてを一人で消化していくにはまだまだ時間が必要だと思います。でも、ようやくデトモルトでの新しい生活も始まり(クリスマス直前に新居に移りました。)、この町を自分の帰る第二の家と呼ぶようになるのも、そんな遠い日のことではないのかなと思い始めております。
と、言葉にすると、そんなことを経験し、感じた一年でした。 


終に来年は、自分の夢の一つであった東京でのデビューリサイタルを含め、3月は秋田、5月は名古屋、6月はアメリカでのマリンバフェスティバル、そして7月は日本の主要の都市でのリサイタルがあります。7月のリサイタルに関しての詳細は、1月中にウェブサイトで発表しますので、時間のあるときにまたここを覗いてやってください。

今年も沢山の方に応援いただき、心から感謝しております。

どうかよい年末をお過ごしください。そして皆様にとって幸せな2011年になりますよう、デトモルトからお祈り申し上げます。

Thursday, September 30, 2010

誉田君 その2

今回のリサイタルツアーの大館公演、山形公演では、3月のブログに登場した誉田君の器の大きさに救われてました。前回も書いたけど、彼は弟のようでありながら、実は俺の兄なのではと思わせる、クールに落ち着いた、それでいて温かい人です。

そんな誉田君、最近ウェブサイトを立ち上げたので、皆さんにご紹介させてください。

http://hiroyahondamarimba.weebly.com/

今どきの手作りウェブサイトはここまで美しくなるのですね。俺がウェブサイトを立ち上げた2005年の秋頃は、手作りではこんなにかっこよくできませんでした。

というか、俺が不器用すぎるのかな・・・

誉田君は今、宮城県をベースに東北でソロや室内楽等の演奏活動をしています。彼は俺には持っていない色彩感と、大きな愛で :)、演奏を聴かせてくれます。お近くの方は是非彼の演奏会に足を運んでください。

そしてこれは前回も書きましたが、彼、マレットのまき直しがかなり上手なんです。俺のマレットのまき直しはすべて彼が手がけてますし、むしろ彼がまき直してくれたものでないと何だか演奏する気にならない、とまで思ってしまうほどです。欲しい音、音色に応じて、まき方の微妙な強さ加減や毛糸の種類もしっかり考えて巻いてくれます。(だよね、誉田君?)
ウェブサイトに連絡先が書いてあるようなので、入用の方は是非ご利用ください。


P.S.「誉田君」というタイトルでシリーズものにしたくなってます。

Tuesday, September 28, 2010

感謝、そして目に見えない力

9月がようやく終わりに差し掛かった。今月頭から、京都、秋田、大館でのリサイタルツアーをさせていただいたのだが、7月、8月に自分は立ち止って考えていた分、9月は頭から全力で突っ走った感がある。

今日は今回の共演者であったAndrey君を成田空港で見届け、僕のリサイタルツアーにやっと終止符を打てた。彼が無事にデトモルトに帰り着くことを願いつつ、こうしてブログに来た。

実は今年4月の終わりから、左手首に今まで味わったことのない痛みを感じ始めていた。だが生活が出来なくなるという理由で治療のために演奏活動を止めるわけにはいかず、引き続き練習や演奏、そして楽器の移動を繰り返しながら、その症状を悪化させ、9年分の荷物をまとめなくてはいけなかったアメリカの引っ越し、そしてその引っ越しの疲れを引きずったままに迎えた7月頭のZMFの演奏で、その演奏の次の日から手首が回せない、さらにはマレットも握れない状態にまで悪化した。日本に帰国後、それが腱鞘炎と分かり治療を進めていたものの、中々治りが感じられず不安を感じていた最中、とある人の紹介で鍼治療の先生を勧められた。その先生のお力はもちろん、9月のリサイタルツアーに関与してくださった沢山の方の思いと優しさで、8月の最後の週あたりから何とか5,6時間練習できるほどまで回復した。

今まで腱鞘炎になった人を何度か見てきたし、僕が昨年度教えていたデトモルト音楽院の生徒でも手の痛みで悩んでいる子が数人いた。ただ、自分は腱鞘炎というものを患っていなかったので、その人たちの本当の痛みが分からなかったが、これで十分に理解できた気がするし、これからももっと深いレベルで分かってあげられる気がする。最初は腱鞘炎を患ったことを悔やんでいたが、今振り返るととてもいい勉強だったし、自分の身を削って自分の出来る精いっぱいの音楽を演奏してきたからこその証なのかもしれない、とそう感じられるようになった。(物事はプラスに考えれば、プラスなんですよね:)

その腱鞘炎のこともあり、「リサイタルのために精いっぱいの準備ができていないのではないか」、「この手が悪化したらどうなるのか」など色々な不安を抱えつつ、その中で共演者を迎え、そして短い期間でのリハーサルでまとめ上げて本番をするというのは、精神的にも体力的にも相当にきつかった。今回の共演者は、僕が彼のピアノの音色に衝撃と感動を覚え(本当は彼、マリンバ専攻生ですが)、招へいすることにしたのだが、実は僕とは全く違う頭脳派の中々の強者で、覚悟はしていたがリハーサルでは音で言い合いになったり、時には言葉でも言い合いになったり、本番直前までどうなるのか、どうしたらいいのか分からず頭の中はめちゃくちゃな状態だったこともあった。でも沢山の方が僕らの演奏に対して純粋に抱いてくださっていた「いい演奏会になりますように」というそういう思いの力と、演奏を楽しみにしてくださっているお客さんの力で、僕もAndrey君もかなり救われ、そしてどの3公演もリハーサルよりとは比べ物にならないくらいお互いを信じ、聴き合うことができ、出来る限りお互いを尊重し合えることができ、反省点はあるものの、お客さんに喜んでもらえるものが出来たのかなと終演の拍手、そして直にお客さんとお話しすることで感じさせていただいた。そして演奏を重ねていくたびに、落ち着いて色々なことを考えることができたし、2人で話し合いもできたし、少しずつAndrey君のことも理解しながら、音も近づけていけた。

そして今回のリサイタルツアーを進めていく中で、自分の周りで色々と働いている目に見えない力も感じた。でもそれは「自分がこれからも沢山の人の幸せを願いながら音楽を通してより多くの方の生活に少しだけ風を吹きかけたい」という想いを、マリンバという楽器を通して音にしていくため音楽を続けていくことが自分の道なのかもしれない、とそう思わせるものであった。

今回も沢山の出会い、そして優しさに触れたが、まだまだ十分なお礼が出来ておらず、申し訳ありません。この場を借りて、ひとまずお礼を申し上げたいと思います。

本当に、本当に、本当にありがとうございました。

(メールを送ってくださった方には、これからゆっくり返信いたしますのでお待ちください。)

Wednesday, July 28, 2010

アメリカ→ドイツ→ちょっとオランダ→ドイツ→日本


やっとこうしてここに戻って来れました。(実家にも戻って来れました!!)

まずはお知らせです。大変光栄な事に、2010年の秋からデトモルト音楽院でマリンバの講師としてドイツに戻れる事が決まりました。

こ の大変ありがたいお話、実は3月には決まっていたのですが、素直に喜べない自分もいました。だからここに戻ってくるのに時間がかかった、というのが正直な ところです。この数ヶ月間は迷い、ゆっくり考え、時にはうろたえ、そして最後にようやく見つけ出した細い光を頼りに、それを信じてまた再出発していこうと 決意した期間でありました。周りから見ると、スムーズに進んでいることでも、本人の心の内はそういうものでもないということ、ありますよね。僕はちょうど その時期だったようです。

でもこういう期間があるからこそ、また改めて自分を見つめ、少しだけ自分を知り、少しだけその自分を受け入れよ うとすること出来たし、更には自分の生活に音楽があるありがたさ、音楽が出来る環境、させてもらえている環境、そして家族、友人、僕の音楽を応援してくだ さっている方への感謝の念がよりいっそう深くなるんですよね。

英語が全くというほど通じない状況でボストンに降り立ってから、約9年間。 楽しいことも、苦しいことも、泣いたことも、感動したことも、怖い思いをしたことも、幸せなことも、不運なことも、本当に、本当に色々とありました。文化 も、言葉も、肌の色も違う人種がそれぞれの居場所を見つけて暮らすアメリカで、その地に行くまでまったく面識も無かった僕の恩師であるNancy Zeltsman先生、Dr. Karl Paulnack先生に出会えたこと、言葉の壁を超え心で繋がれる親友を見つけられたこと、命・生きることを考えされされたこと・・・書き出すと切があり ませんが、音楽家である前に、まず人として心豊かに、そして今の自分の境遇に感謝しながら幸せに生きるということを、アメリカ生活は僕に教えてくれまし た。そのすべてがやっと少しずつ僕の心の中に整理されて仕舞われていますし、それらはきっと僕の音となってくれるのでしょう。

そのアメリ カ生活をこの6月を持って引き払いました。第二の故郷となったその地を離れることは、本当に悲しいです。でも、僕の人生に吹いてくれている風に感謝し、身 を任せ、約9年前にアメリカの地に降り立ったように、また新しい生活をドイツでするために出発します。31歳にはなりましたが、まだまだ自分の脳みそを固 めすぎずに、新しい土地で感じる様々なことを自分の中に吸収し、自分の音楽にまた新しい色を添えたいなあ、と今はそういう思いです。

時間はかかりましたが、やっとこうして何とか言葉に出来たことで、また前に進めそうです。

写真はボストンを見ながら夕日が見える、僕のお気に入りのスポットの写真です。

Sunday, March 14, 2010

誉田君

3月12日にボストン音楽院で行われた、僕の山形大学(山大)の後輩でもある誉田広耶君のマリンバ・リサイタルに行ってきました。

山大の後輩とは言えども、僕が山大に在学していた時期とはまったくかぶっていなかったのですが(ということは彼は俺よりも随分の若者)、ちょっとした縁があり、彼とは確か5年近くの付き合いになります。山大を卒業後は、僕も辿ってきた道でもあるボストン音楽院に入学したということもあり、弟のように付き合わせてもらってました。(もちろん、この2人の関係の場合、弟の方が上手です。)

初めてきちんと彼のことを知ることになったきっかけが、彼の演奏を聞かせてもらうことで、それから5年間、機会がある度に演奏を聞かせてもらったり、色々な彼の身の上話を聞かせてもらったりしていたので、演奏会の最初の数音は、その彼の5年間の音楽の、そして人生の歩みを思いながら聴かせてもらってたのですが・・・

彼の音楽に対しての集中力、至る所で湧き出る表情の豊かさにのせて聞こえてくる「歌」に引き込まれて、そんな歩みなんか辿っているどころではない位、一観客として聞き入ってしまっている自分がいました。今までは聞き逃していたのか、それとも彼の中で持っていたものが新た引き出され、それが音色になったのか、今まで聴くことの出来なかった音への非常にきめの細やかな気配りが、僕には持っていないものだったりし、「凄い」と感嘆してしまう部分もありました。
マリンバソロオリジナル曲で始まったコンサートは、プログラムのほとんどがギターのソロ曲のアレンジものやマリンバを含む室内楽といった、曲の選択も順番も彼なりのコンセプトを持って組まれていたし、照明や演出にも彼のこだわりというか、彼らしさがいい風に出てました。最後の演出は「万歳」ものでした。ただ、31歳を迎えたばかりの俺には、字が細かすぎてまったく読めなかったのが残念でしたが・・・

2時間弱の演奏会はあっという間に終わり、文句なしのスタンディング・オーベーション。その演奏会の余韻は実に気持ちのいい爽快感で一杯でした。演奏会後の爽快感ってそう頻繁に感じるものではないのですが、彼がこのコンサートに向けて一生懸命でなおかつ大事に準備してきたこと、考えて考えて音楽を作り上げ、それが彼の音楽として魂から出ていたこと、そして彼の純粋さ・温かさがきっとそういう気持ちにさせてくれたのでしょう。

彼の今後、本当に楽しみになってきました。この6月で日本に完全帰国するので、日本の皆様、機会があったら是非聴いてやってください。

そして誉田君、また酒飲みに行こう!



(そうそう、彼はマレット巻き直しのかなりの、っていうかかなりの名人でもありますよ。)

Monday, March 08, 2010

Youtube

雪男の僕がボストンに戻ってきた3月頭は、冷え込みが凄く、おまけに雪まで降ってくれました。今年の冬は、僕が訪れるところはまず寒さと雪で歓迎でした。でも、昨日頃からようやく雪男の名前もシーズンオフです。昨日からボストンには春の陽気、むんむんです。もう新年度なんですね。

話は突然変わり、この度Youtubeにビデオをアップしました。自分でYoutubeに載せる、というのは初なんです。(ただ、自力でYoutubeに載せてません。Yuki君、ありがとう。)

僕の演奏が観れるビデオは今まで何本かYoutubeに載せられていたのですが、あれらは僕が希望したものではなく、さらに言うと無許可で載せられたものです。まあ、最初はびっくりしましたが、インターネットでどんどん広がって行く社会ですし、実際に僕の演奏も、良くも悪くもそのビデオ達で広がって行ってくれていたようです。

今回のビデオは2月にデトモルト音楽院で行ったリサイタルの中から、ピアソラの作品のみ抜粋しました。今回のビデオのピアニスト、実はマリンバ専攻でデトモルト音楽院国家演奏家資格コースに在学しているロシア人の生徒なのですが、聴くとお分かりになりますがピアノも相当達者な方なんです。色々と事情があり、リサイタルの前に十分なリハーサルが出来なかったのでまだまだな点があるのですが、この人とのピアソラの演奏は何か特別なものを感じます。僕もピアソラ好きですが、彼も相当なピアソラ好きです。ホームページに後日詳しいことは掲載いたしますが、9月は京都・秋田・山形で、このピアニスト/マリンバ奏者を引き連れて演奏会をします。もしご都合がつくようでしたら、皆さん、是非いらしてください。

それではリンクです。

リベルタンゴ
http://www.youtube.com/watch?v=_iZRFb7LQuE


組曲「タンガータ 風神と水の精」
フガータ
http://www.youtube.com/watch?v=GTtmNiF4B6g

ソレダット(孤独)
http://www.youtube.com/watch?v=-H594JhKjek

終曲(タンガータ)
http://www.youtube.com/watch?v=Hefd8AKJ62Q

楽しんでいただければ幸いです。

Monday, February 15, 2010

デトモルト音楽院


昨年の10月から通っていたデトモルト音楽院での生活が遂に終わってしまった。そしてボストンに帰ってきてみたら、俺の中に何か大きな穴がぽっかり空いている事に気付いた。

必死に過ごした5ヶ月間は、俺にとって人生生まれて初めてと言っても過言で無いくらいの人生の勉強をさせてもらったし、勇気をもらった。苦しかったし、悩んだし、眠れなかった日もあったからこそ、充実していたし、温かくなったし、少しだけ強くなったし、そして幸せだった。

「音楽とは何か」って、まだその未知の部分は計り知れないものがあるはずだけど、自分にとって音楽とは、その人の「生き方」の選択を表現する芸術であるんじゃないかなあ、と最近思うようになった。だからレッスンをさせてもらうってことは、自分の生き方を共有するものでもあり、こういう機会を俺のこの人生のタイミングでドイツで頂くことが出来、俺の人生の共有をこのデトモルト音楽院でさせてもらったことには、本当に本当に自分にとって意味深いものであり、感謝してもし足りないくらいだった。

国も人種も違う人が、デトモルト音楽院の打楽器ハウスに集まり、一緒に音楽を創っていく。昔、自分が思うアメリカでの生活を僕のピアノ先生に話したときに、「布谷は国や人種で人を判断しなくなれば、きっとまた新しいステップに進めるよ」と言われたのだが、それが今回の機会でその言葉の意味を理解し、納得できた気がする。

俺は本当にこのデトモルト音楽院の打楽器ハウスで過ごせて幸せだったし、俺の弟・妹のような生徒達、みんなを好きになった。そしてみんなのお陰で、また立ち上がって音楽を続けて行けそうな気がする。

このブログ、きっとその子らには読んでもらえてないと思うけど、この場を借りて、「Vielen Dank!!」

Tuesday, January 05, 2010

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。前回の更新から僕の生活は一気に忙しくなり、その上家でインターネットが使えなくなったことを理由に、またサボってしまいました。

明けましておめでとうございます。昨年も応援してくださった皆様、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年10月に始まったドイツの生活も、もう3ヶ月が経ち、後残すところ1ヶ月半。この場では書ききれないほど色々な生徒や人に出会い、様々なことを学び、そして沢山のクラシック音楽家を生み出した国の風を感じてきました。そのすべてが音楽家として生きている僕にとっては最高の刺激となり、「僕はなんて幸せ何だろう」と思っていた昨年の12月中旬、僕の脳裏に突然、「んじゃあ、ドイツに住んでみればいいじゃん」という声が・・・

この声、高校3年のときにも聞こえました。あの頃の僕は偏差値もそんなに良くなかったのに
高校の化学の先生になることに情熱を燃やしており、当時の担任先生と一緒に北海道教育大学の化学課程を見学するため、同大学に行ってました。説明会がちょうどお昼休みの後だったので、それが始まる前に担任を外に待たせてトイレに入りました。

そしたら急に「音楽に行かなくていいの?」と誰かに言われたように、そう頭によぎったんです。

「そうだよね」と変に納得した僕は、トイレの外で待っていた担任の先生に「俺、やっぱり音楽の説明会に行ってきます」と言い残し、ピアノの練習している音の聞こえる方に向かいました。

説明会の行われている部屋を見つけると、そこには聴音ばっちり、ソルフェージュばっちり、新曲視唱ばっちり、実技はもちろんばっちりと言わんばかりの優等生の5人が既に説明を受けており、音楽課程の説明会の登録をしていなかった僕は、先生からも受講生の方からも、誰ですか?という目で見られた上、聴音もソルフェージュも新曲視唱も、それがいったい何なのか知らないという状態がばれ、これでもかという位赤っ恥をかいてきました。

でも、それが無ければ今の自分は無かったでしょう。

きっとこの「ドイツに住んでみればいいじゃん」もどんな風にかはまったく想像がつきませんが、また赤っ恥をかくことになるのかもしれません。でも、赤っ恥をかけばきっと自分は強くなるし、もしそこまで恥をかかなかったとしても、そう思えたことが自分には大きな成長のステップの一つになるのだと思います。どんな風な形でドイツに住むことになるのかはまだ分かりませんが、またはっきりとお知らせが出来るようになったら、この場で述べたいと思います。

という訳で、ひとまず今年の6月一杯でアメリカ生活にピリオドを打つことに決めました。

2001年7月31日、初めて乗った飛行機の中から今は無きニューヨークのWorld Trade Centerを見て、自分はこの国で変われると思ったあの日が、昨日のように思い出されます。アメリカに来て沢山の素晴らしい人に出会い、そして様々な経験を積み、僕の世界が広がりました。その人たちから離れることになるのは非常に寂しいですが、僕の中でその人たちの存在はずっと生き続けますし、そして何よりも心から感謝しております。

男布谷、30歳にして大胆な決断だとは十二分に承知ですが、どうぞこれからも引き続き応援をよろしくお願いいたします。

そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

布谷史人